シーラという子

シーラという子―虐待されたある少女の物語シーラという子―虐待されたある少女の物語
(1996/03)
トリイ・L. ヘイデン

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ずっと読みたかった本、やっと読めました。
で、お友達にも貸して、共感できた〜。

「シーラってわたしみたい」

そんな風に感じました。

もしかしたらみんなのなかにシーラがいるのかもしれない。

まるで今まで言えなかった思いをシーラに代弁されたような感覚でした。

私は現在、育児にかかわる仕事をしているが、愛情に飢えている子のもつ繊細さや情熱にとても

心惹かれるものがある。なぜか目を離せない、そんな感覚だ。

心の健康なひとより、なぜか癖のある人に惹かれるのはきっと私自身が心に傷をおっているから

敏感にかんじてしまうのかもしれない。

どうして心はそんなふうに感じるのか?

そんなことを日々考えている。

感情の海に飛び込んで、深い海底を覗いてみる、恐怖の先にあるもの。

それは案外シンプルなものだったりする。

今日、おともだちのSKさんと話したところ、すごーくキーワードになる言葉があった。

「誰でも耐える力はもってるけど、勇気があるかないかでまた変わってくるのにね。」

たしかにそうかもしれないな〜。

結局は勇気なのかもしれない。

シーラも自分が成長することを最後には拒まなかった。

大いなる勇気を持って、自立の道を選んだのだ。

愛情をくれる人は親じゃなくてもいい。

大人になって、愛されるようになって、いろんなことがわかってきた。

パパのカノジョは

息子と子ども図書館にいった。

私も児童書は大好き!

だから図書カードは2枚!

息子と二人で20冊借りてきます。

息子も本が大好きで、今はまってるのは「食品成分表」なんじゃそりゃ??

本日目に留まって借りた本

パパのカノジョは (海外秀作絵本シリーズ)パパのカノジョは (海外秀作絵本シリーズ)
(2002/01)
クリス モンロー、ジャニス レヴィ 他

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ちょっとかわりもんのパパのカノジョと娘のやりとりがおもしろい。

「かっこいい」「かっこわるい」ってなに?

って、等身大のカノジョが教えてくれる。

肩のこらない生き方。

この本が日本でも通用する社会になりますように!

ちなみにわがやは

「ママのカレシは」

というところですね。

息子とカレシのやりとりはかなりおもしろい。

息子「パパとママは大好き、でもOOOは嫌いだよ!」

カレシ「そうか〜、でも俺は君が好き!」

といいながら二人はニコニコ遊んでおります。

カレシはすごいほめじょうず。

息子はいつも褒められてうれしそう!

そんな姿を見て、「私はまだまだだな〜」って思います。

以前息子の育児でずいぶん悩みました。

男の子ならではの激しさ、いたずら、暴力、闘争心、自由さ・・・。

どこまで許せばいいの?って。

そんな時カレシがいいました。

「すきにさせてやれば?親のあんたが世間に頭さげてればいいじゃない。親のそういう謝ってる姿見ればそれ以上はやらなくなるよ。」

それを聞いたとき、正直ズキッっと心が痛みました。

私にはそこまで親として息子を守る心の準備ができていなかった。

もしかしたら世間を気にして息子を叱っていたかもしれない。

自分が世間に頭を下げたくない、世間から責められたくないから息子の行動を制したかっただけなのかも・・・。

タダでさえ片親だから、「あの母親だから」って言われたくなかっただけだったりして・・・。

そんな反省がありました。

今はどうかというと、息子の好きにさせてやればやるほど本人は生き生きとし、ぎりぎりのラインまできたらしっかり「説明」してやめてもらっています。

こどもだから理解できない?そんなことはない。

説明したら、少なくとも理解はできる。

だからいつもカレシの言葉が頭の隅にあって、世間を気にした「しつけ」にならないよう、「こどものため」に意見できる母親でありたいとおもっている。

もちろんとても難しい。

いつも「ここまではやらせよう」とおもいながらも

「注意すべきか?」

などと疑問もありつつ・・・。

でもせっかく息子のなかに芽生えた「チャレンジ精神」を母親の「世間体」のためにつぶしてしまっては

なるまいとは意識している。

息子のチャレンジ精神をより理解しているのはきっと私より私のカレシかもしれない。

この本を読んでそんな風におもった午後であった。