ボディーワーク

先日2日連続ボディートリートメントに行ってきました。
時々は身体と心のメンテナンス・・・。

まずは半年に一回は訪れているアロマテラピーの学校の先生がご自宅でされているサロンです。
先生のテクニックというか、タッチはすばらしいのです。ものすごく優しいというか、ものすごくあたたかいのです。それから私が楽しみにしているのは話ができることです。日常会話ではなく、本当に心から話すことができるから、自分の感情の整理もできます。

いつも不思議に思うのは、トリートメントを受けると、自然に素直になれること。
自分でいいんだなっておもえることです。

しかしここで言わせていただくのであれば、やはりセラピストは選ぶことです。
私の経験では、せっかくお金を払っても満足できなかった経験も多いのです、
多分セラピストが疲れきっていたり、上の空で、ほかの事を考えていたり、もしくはセラピストがセラピストとして徹底していないとやっぱり満足いきません。

セラピストが異常に「自分のこだわり」を押し付けてきたり、「うまくいってるか」を気にするようだとやっぱりあまり満足できません。
以前セラピストの悩みをずっと聞きながらトリートメントを受けたときはすごく疲れました。ですから私は常に心がクリアなセラピストに出会いたいと思っています。

そんな風におもっていたら新しい出会いがありました。





ハワイアンロミロミOhana

まるでやわらかい風にふかれるような感覚でした。
久しぶりにのんびりして、また不思議と心癒されるときでした。
たくさん笑って、たくさんの幸せをもらえました。

心を癒すには心理療法だけではなく、とにかく言葉ではなく触れてもらうこと。
あたたかく、擦れてもらうことで、こわばった心もかわっていきます。

愛情と冷静さ

人間はどうしても同じ間違いを繰り返しがちです。
でも私は繰り返していいと思います。
繰り返すことで、また軌道修正できるとおもいます。

私も何度も同じ間違いをくりかえして、「またやったわ」「え?またまた?」「懲りないわね」
なんて自分にいいきかせながらもっと「心の成長」をしたいと常に願っています。

人の心の成長はまず、テーマがみんな違うこと。
みんな「あること」を学ぶために今の人生があるわけで、みんな同じ宿題をやってるわけではないということです。ですから周りの人と価値観が違ったり、性格が違ったりするのもうなずけませんか?
みんな別々の宿題をやりながら、でも同じクラスで勉強しているようなものです。
隣の人からヒントを得ることもある、つまずいたら隣の人に聞いてもいいのです。それが学習の上でのポイントではないかとおもいます。
宿題は違っていても、「心の成長」といういみではみんな同じクラスメイトであり、心から成長のプロセスを学んでいる。だからいつも共感したり、意見をいいあったりします。

カウンセリングを学んでいると「ロールプレイ」のペアになった人は必ず自分にとって学びになるひとです。それが自分にとっては気分の悪い人でもです。人生はいつも好きな人とばかり過ごせるわけではない。そんな時自分が冷静にどうでるかで次のステップにいける気がするのです。

私の場合、いつも自分がおさめたほうがよいエゴをもつ相手と遭遇します。もしくは自分のエゴを引き立てる人にも遭遇します。そこでいかに冷静に自分を見られるかがポイントなんですが、なかなかできません。

具体的に私のエゴは何を求めているかと申しますと、「同情を集める」ことと「自分の価値観を相手に押し付けてしまう」というエゴです。
同情を集めたいというエゴは子ども時代にうけた心理的な問題のために「私ってかわいそうでしょう?」と無意識でひとから注目されたいというエゴがあるのです。
そのエゴは私の弱い部分を増徴するし、人を簡単にだませます。そうやって無意識で「自分の傷」をみせて、「注目をあびよう」とするのがエゴ。
私はなんどもそれを理解しながら、また同じ間違いをしているわけです。

「こりないな〜」

とおもうけど、自分の中の子どもに対してもう少し敬意を払うことでおさまるかなっておもっています。
「そんなに同情あつめなくても、あんたは頑張ってきたから、私は認めてる」と大人になった私自身が私の中のこどもを抱きしめてあげることで同情をえようとするエゴは消えてなくなるとおもいます。

以前ロールプレイでご一緒した方は非常に私の苦手なひとでした。
しかしながら苦手なひとから学ぶことっていっぱいある。
「自分にもこんなところはなかろうか?」って冷静に自分をみつめるチャンスになるわけです。
相手が突っ込んできたところは、私が一番触れて欲しくないところでした。そんなときどうしますか?
私はどこかでその人責めていました。

「傷つけられた!」と。

そうかんじるのであれば、冷静に相手に「私はこう感じる」と伝えればよかったのですがそれができなかっただけでなく、相手が欲しがっているものさえ、私はいやいや与えているのです。
嫌なら答えなきゃいいのに。相手が自分の価値観をむりやり押し付けてきたとき、「傷つけられた」とかんじたらそれは「まだまだじゃのう」ということです。かつては自分だって「自分の価値観が一番だ」と思っていた私ですから、そんな私が彼女を責めることはできない。彼女は彼女なりのプロセスで学んでいるのですから。まだロールプレイが浅いこともあって、やり方がわからないかもしれなと感じました。私はそれを伝えるべきでしたが伝えることができませんでした。同じクラスメイトであれば伝えるべきでした。それをしないで「ただ恨む」ことは幼稚なのです。
同じカウンセリングを学ぶ立場としては、「伝えること」ととても大切なのですが。
まだまだ言いたいことをこらえる癖もなおっていないものです。
私のエゴはそのあと、冷静な私を食い尽くして、また「かわいそうな私」をつくりあげてしまったように思います。

それからの私はなかなか冷静さを保てなかった。
ですから問題がおこると冷静に対応するどころか、エゴが同情をもとめて騒ぎ出すようになってしまったのです。私はよくよく自分の状態を冷静にみることが苦手だったので、毎回宿題がだされます。
たいしたことではないのに「騒ぎ出す自分」を納めるのはまぎれもなくもう一人の私、冷静さを愛情がないとできない。
自分に対する愛情です。その冷静な判断こそが自分の軸を強くし、困難があって揺れたとしても対応していく勇気をもてるのですから。

2週間あまりの時間を経て、再びよい学びがありました。

私は自分の問題を冷静に解決することができたし、もう一度軌道修正もできました。
こうして私はしっかりと学んでいける。
傷つくことを恐れてはなにもはじまらないし、やることをやらないでいじけているだけでもいけない。

「冷静さと自尊心」はなんと自分にあたたかいのかな〜。
とかんじました。