やくわり
先日、ある方から相談を受けました。自分では実際相談にのれないけど、どこに相談すればよいかということでした。
ある方がいる、問題を抱えている。
その人にかかわる人がなにか考える、考えて行動する、だれか助けてくれないかと思う。
するとなにかの流れでそこにたどり着く。
誰かのバトンを私が受け取る、そして悩んでしまう。以前の私はそんな感じだったとおもう。
ついついそのバトンが自分の問題のように思えて、自分で解決してしまいそうになる。
そして苦しんでいた昔の私。
誰かの悩みを聞いてしまうと、「何とか解決してあげたい」という気持ちがでてくる。しかしそれは自分のためであって相手のためではない。本当に相手のためを思うのであれば、あえてそのバトンをもう一度その人が受け取るように、そしてもう一度考えるチャンスを与えたほうが良いのかもしれない。
世の中には「誰かが何とかしてくれる」と思う人と「自分が何とかしなければならない」と思う人がいる。私は多分後者である。
そしていつのまにか他人の苦しみが自分の苦しみになってしまうというパターンをもっている。
かつて母が私にいったように、「自分で何とかしなさい」
そして、母の感情の原因が自分に責任があると思いこんでいたときのように。
私がなんとかしないと・・・。そんな言葉がずっと頭の中を駆け巡っていた人生だった。
だから問題のある人をひきつけ、そのバトンをうけとり、私が解決しようとする。そんな人生だった。
どうしても自分がなんとかしなければ・・・というとらわれから抜け出せなくて、なんども自分の人生を
犠牲にした。だけど、それは自分の喜びでもあったきがする。自分が助けているという、そこに自分の価値を見出すような感じだ。
小さな子どもを持つ親が、「自分の働きがあってこそ、子供が育っている」と感じたいような、そんな感覚だ。
しかし、そうすることで自分を追い詰めてしまうパターンももっており、最後には自分をとるか、相手をとるか・・・そこまで追い詰められたこともある。
「うまい断り方」を知らないことや「ゆだねる」ことが苦手だからなのだとおもう。
そんな私自身、自分の問題をみつめていなかったのだ。
私が自分の問題をみつめるようになるまでは何度も同じパターンを繰り返し、「もうこれ以上ごめんだ」という気持ちから初めて誰にかゆだねることを覚えた気がする。
人間は自分ひとりではどうにもならないこともある。
そんなことを深く学んだ。
今日、職場の代表から同じ言葉をいただいた。
「自分がどうしてもかかわってしまうを放置しないこと。逃げないで向き合うことが大切。」
「あなたはひとつの歯車にすぎないから、なんでもひとりでこなさなくてもいい。できないことがあっていい。どんどん次に渡していくこと。」
「誰かが人に話さないようなことを、あなたにだけ話してくれるなら、あなたはそういう役割を持って生まれてきている。だからその役割がわかると生きることが楽になるわよ。」
とそんな感じでした。
確かにいろいろな方から相談を受けるけれど、それをなんとか解決しようとして、カウンセリングの資格を得た。だけど、私自身はあまりカウンセラーに向いていないのではないかと日々おもっていた。それは私自身がそれほど強靭な精神を持ち合わせていないことだとおもう。人の相談をうけるにはどうも繊細すぎるのだ。だが、繊細さゆえに人の心の傷には非常に敏感なのだ。
そんな私の役割はきっとあえて私自身が問題解決に奮闘することではない。
窓口になることなのかもしれない。
今までは「ちゃんとできていない自分」を腹が立ったこともあるけれど、うまく行かないことをあえてやる必要はないということだ。それよりも自分の得意分野に情熱を傾けること・・・。バトンを渡していくこと・・・。人の問題のバトンをたくさん両手に持って翻弄するより、受け取ったら、適切な相手に渡していくことのほうがずっと大事なのかもしれない。
本日は「役割」について学びました。
やりたくないことはやらないよ〜。
自分の役割をしっかり知りましょう!
あなたの役割は、なんですか??
ある方がいる、問題を抱えている。
その人にかかわる人がなにか考える、考えて行動する、だれか助けてくれないかと思う。
するとなにかの流れでそこにたどり着く。
誰かのバトンを私が受け取る、そして悩んでしまう。以前の私はそんな感じだったとおもう。
ついついそのバトンが自分の問題のように思えて、自分で解決してしまいそうになる。
そして苦しんでいた昔の私。
誰かの悩みを聞いてしまうと、「何とか解決してあげたい」という気持ちがでてくる。しかしそれは自分のためであって相手のためではない。本当に相手のためを思うのであれば、あえてそのバトンをもう一度その人が受け取るように、そしてもう一度考えるチャンスを与えたほうが良いのかもしれない。
世の中には「誰かが何とかしてくれる」と思う人と「自分が何とかしなければならない」と思う人がいる。私は多分後者である。
そしていつのまにか他人の苦しみが自分の苦しみになってしまうというパターンをもっている。
かつて母が私にいったように、「自分で何とかしなさい」
そして、母の感情の原因が自分に責任があると思いこんでいたときのように。
私がなんとかしないと・・・。そんな言葉がずっと頭の中を駆け巡っていた人生だった。
だから問題のある人をひきつけ、そのバトンをうけとり、私が解決しようとする。そんな人生だった。
どうしても自分がなんとかしなければ・・・というとらわれから抜け出せなくて、なんども自分の人生を
犠牲にした。だけど、それは自分の喜びでもあったきがする。自分が助けているという、そこに自分の価値を見出すような感じだ。
小さな子どもを持つ親が、「自分の働きがあってこそ、子供が育っている」と感じたいような、そんな感覚だ。
しかし、そうすることで自分を追い詰めてしまうパターンももっており、最後には自分をとるか、相手をとるか・・・そこまで追い詰められたこともある。
「うまい断り方」を知らないことや「ゆだねる」ことが苦手だからなのだとおもう。
そんな私自身、自分の問題をみつめていなかったのだ。
私が自分の問題をみつめるようになるまでは何度も同じパターンを繰り返し、「もうこれ以上ごめんだ」という気持ちから初めて誰にかゆだねることを覚えた気がする。
人間は自分ひとりではどうにもならないこともある。
そんなことを深く学んだ。
今日、職場の代表から同じ言葉をいただいた。
「自分がどうしてもかかわってしまうを放置しないこと。逃げないで向き合うことが大切。」
「あなたはひとつの歯車にすぎないから、なんでもひとりでこなさなくてもいい。できないことがあっていい。どんどん次に渡していくこと。」
「誰かが人に話さないようなことを、あなたにだけ話してくれるなら、あなたはそういう役割を持って生まれてきている。だからその役割がわかると生きることが楽になるわよ。」
とそんな感じでした。
確かにいろいろな方から相談を受けるけれど、それをなんとか解決しようとして、カウンセリングの資格を得た。だけど、私自身はあまりカウンセラーに向いていないのではないかと日々おもっていた。それは私自身がそれほど強靭な精神を持ち合わせていないことだとおもう。人の相談をうけるにはどうも繊細すぎるのだ。だが、繊細さゆえに人の心の傷には非常に敏感なのだ。
そんな私の役割はきっとあえて私自身が問題解決に奮闘することではない。
窓口になることなのかもしれない。
今までは「ちゃんとできていない自分」を腹が立ったこともあるけれど、うまく行かないことをあえてやる必要はないということだ。それよりも自分の得意分野に情熱を傾けること・・・。バトンを渡していくこと・・・。人の問題のバトンをたくさん両手に持って翻弄するより、受け取ったら、適切な相手に渡していくことのほうがずっと大事なのかもしれない。
本日は「役割」について学びました。
やりたくないことはやらないよ〜。
自分の役割をしっかり知りましょう!
あなたの役割は、なんですか??
出会いは神様からの贈り物
一昨日、凄い出会いがありました。
学校で偶然トレーニングが一緒になった方とちらっと話したところ、職種が似ていること、今までの人生にあまりにも共通点があったことです。
すぐさま一緒にランチしましたが、話せば話すほど共通点があり、話のあうこと〜!!
自分がつまずいている問題でさえ、感じていることさえ、とても似ていたわけです。
そして私たち、どちらも「信仰」の大切さに気がついたことです。
信仰というと胡散臭いと思いがちですが、私たちは生きていくうえでいろんな問題、辛い経験もあります。そんな時、真っ暗なトンネルにいるとき、何が自分を支えたか。最後の最後は「神様」の存在でした。それは何の神様という特別なものではなく、森羅万象、宇宙の大きさ・・・自分は小さな存在だと認識し、「ゆだねる」ことに近い感覚でした。
ですから問題がどんなに解決しない感じがしても、「きっと見守ってくださる」と強く信じて歩いてきたような感じです。
私自身は仏陀やお釈迦様の言葉にとても感動し、般若心経を読んだりもしました。
どんな神様でも私たちを見守ってくださることにはかわりがないのです。
苦しい体験をして、初めて真剣に「祈り」を大切にした私たち。「愛情」ってなんなんだろう?そんなこともお互いに真剣に考えたようにおもいます。
たった1時間の間でしたがとても深い話ができたとかんじました。
一年前もそんな出会いがありました。
自分が気がつき始めているなにかを教えてくれた人でした。
偶然出会い、話し、救われ、生きる方向性が見えてきた出会いでした。
まよったとき、彼女に会いに行くことがあります。
いつも彼女がいうこと
「こうしてお互いにいつもなにかを受け取っている」
その感覚は今までにはない感覚でした。
どんな出会いも、お互いの学びのため・・・。
だから私はいつも出会いで人は変われるのでは?とおもいます。
実際私もこの一年で多くの人に出会い、「神様の贈り物」を受け取ってきました。
そのたびに「大丈夫なんだな〜」と。
真っ暗なトンネルの中での一筋の光のように、出あったひとが分岐点になってくれたようにおもいます。
切れてしまった関係、始まった関係、どんな関係性も自分にとっては学びであり、成長の糧なんだなとおもいます。
だから誰も恨まずに一人歩けるのかもしれません。
いつも照らしてくれる神さまがいるから耐えられるのかもしれません。
私がいつもこどもに教えていること、
「いつも神様がまもってくださるよ」
その言葉だけでこどもは安心して、人生を歩んでいけるのかもしれない。日本では信仰というと胡散臭さがあるけれど、どの国もなんらかの信仰があり、習慣があり、そういうなかで人間も踏み外さずに生きていけるのかもしれない。誰も見ていないとおもうより、誰かが見ているとおもえば自然に行動もかわってくるように・・・。
というわけで、私はどんな宗教でも神でも信じています。
ただ「守られている」と感じることが私たち小さな存在には必要なのかもしれません。
明日地球がなくなれば私たちの問題も悩みも一瞬で消えてしまうから。
だったら、その悩みのすべてをゆだねて楽しく、流れにのって生きたほうがずっといいとおもう。
悩んでいることで自分を苦しめるより、いつか終わる命を精一杯生きたほうがずっと後悔しないと思う。精一杯とは無理に頑張ることではなく、素直に生きることなのかなと最近は思います。
私が一番悩んでいたときに出あった本。
本屋でなんとなく、買い、衝撃になりました。
人も本も音楽も・・・すべて良いタイミングで出会い、そしてちゃんと進んでいける。
だからいつも「出会いこそは神様からの贈り物」だとおもいます。
学校で偶然トレーニングが一緒になった方とちらっと話したところ、職種が似ていること、今までの人生にあまりにも共通点があったことです。
すぐさま一緒にランチしましたが、話せば話すほど共通点があり、話のあうこと〜!!
自分がつまずいている問題でさえ、感じていることさえ、とても似ていたわけです。
そして私たち、どちらも「信仰」の大切さに気がついたことです。
信仰というと胡散臭いと思いがちですが、私たちは生きていくうえでいろんな問題、辛い経験もあります。そんな時、真っ暗なトンネルにいるとき、何が自分を支えたか。最後の最後は「神様」の存在でした。それは何の神様という特別なものではなく、森羅万象、宇宙の大きさ・・・自分は小さな存在だと認識し、「ゆだねる」ことに近い感覚でした。
ですから問題がどんなに解決しない感じがしても、「きっと見守ってくださる」と強く信じて歩いてきたような感じです。
私自身は仏陀やお釈迦様の言葉にとても感動し、般若心経を読んだりもしました。
どんな神様でも私たちを見守ってくださることにはかわりがないのです。
苦しい体験をして、初めて真剣に「祈り」を大切にした私たち。「愛情」ってなんなんだろう?そんなこともお互いに真剣に考えたようにおもいます。
たった1時間の間でしたがとても深い話ができたとかんじました。
一年前もそんな出会いがありました。
自分が気がつき始めているなにかを教えてくれた人でした。
偶然出会い、話し、救われ、生きる方向性が見えてきた出会いでした。
まよったとき、彼女に会いに行くことがあります。
いつも彼女がいうこと
「こうしてお互いにいつもなにかを受け取っている」
その感覚は今までにはない感覚でした。
どんな出会いも、お互いの学びのため・・・。
だから私はいつも出会いで人は変われるのでは?とおもいます。
実際私もこの一年で多くの人に出会い、「神様の贈り物」を受け取ってきました。
そのたびに「大丈夫なんだな〜」と。
真っ暗なトンネルの中での一筋の光のように、出あったひとが分岐点になってくれたようにおもいます。
切れてしまった関係、始まった関係、どんな関係性も自分にとっては学びであり、成長の糧なんだなとおもいます。
だから誰も恨まずに一人歩けるのかもしれません。
いつも照らしてくれる神さまがいるから耐えられるのかもしれません。
私がいつもこどもに教えていること、
「いつも神様がまもってくださるよ」
その言葉だけでこどもは安心して、人生を歩んでいけるのかもしれない。日本では信仰というと胡散臭さがあるけれど、どの国もなんらかの信仰があり、習慣があり、そういうなかで人間も踏み外さずに生きていけるのかもしれない。誰も見ていないとおもうより、誰かが見ているとおもえば自然に行動もかわってくるように・・・。
というわけで、私はどんな宗教でも神でも信じています。
ただ「守られている」と感じることが私たち小さな存在には必要なのかもしれません。
明日地球がなくなれば私たちの問題も悩みも一瞬で消えてしまうから。
だったら、その悩みのすべてをゆだねて楽しく、流れにのって生きたほうがずっといいとおもう。
悩んでいることで自分を苦しめるより、いつか終わる命を精一杯生きたほうがずっと後悔しないと思う。精一杯とは無理に頑張ることではなく、素直に生きることなのかなと最近は思います。
![]() | パワー・アップ・ユア・ライフ―力強く生きるためにブッダが説いたカルマの法則 (2007/02) アルボムッレ・スマナサーラ 商品詳細を見る |
私が一番悩んでいたときに出あった本。
本屋でなんとなく、買い、衝撃になりました。
人も本も音楽も・・・すべて良いタイミングで出会い、そしてちゃんと進んでいける。
だからいつも「出会いこそは神様からの贈り物」だとおもいます。
| HOME |


