価値観をかえる。

こんにちは。



ここ数年、何十冊という育児の本を読んでいます。
何度も同じ本を読んだりもしています。
なんども読んで、なんども身体にしみこませたいものもあれば、そうでないものもある。
読み始めたとたん、止まらなくなるものから、ぜんぜん自分にあわないなっておもうものまで、とにかく最後まで読んでみます。
とりあえずいろんな育児の仕方があるってことです。
そのなかで親が何を選ぶかってことです。

だけど、自分の中に「これ」というなにか直感というか価値観がなかったら、本に振り回されるだけかもしれません・・・。私もかつて、そういう時期があり、「自分の価値観」をなかなか定めることができなくて、何を大切にするのか、自分でも決められなかった。

あるときカウンセリングの最中に自分の中に「親の価値観」があり、それが自分を大きく支配していると気がつきました。

例えばお金への価値観

「お金がないと幸せになれない」
というメッセージが自分の身体の深部にありました。

そして
「経済力のある人と結婚しなければならない」

「子育てと仕事は両立できない」

「安定こそ幸せだ」

などと、そんな価値観です。

自分ではそう思っていなくても自分の口からはそんな言葉が出てきたり、二言めには「お金」という
言葉が出てきているのです。だからお金がないと不安になったり、先の見通しがないとあせったりする自分の行動もうなずけました。そんな価値観があっては自由に振舞えないし、好きなことをできないではないか・・・と自分でも客観的に自分の価値観をみつめることができました。

育児書など読んでいると、どんどん「自分が間違っている」と感じるようになったり、育児そのものが不安になったり、子どもに対しても「お金」を心配をさせる自分が出てくるようになりました。

こどもの「お菓子かって!」
に対してわざわざ「お金がないの」「お財布がないわ」
などと理由をつけるのはちがってたな〜とおもいます。

私がいろいろ感じることは「物欲」は人間だれでもっているってことです。それを我慢することがいいことなのではなく、すきなものを買う喜びを子どもに知って欲しいと思っています。

息子は十分すぎるほど与えられてきたので、今は他人に与える喜びを既に知り始めています。

おばあちゃんからこづかいをもらったら最初に「ママにあげる」と分けてくれるようになりました。

ちょっと早いきもするけど、豊かであるということは分け与える喜びを知ることもできるのです。

わたしもこの年でやっと「お金」に対する価値観が変わってきました。

喜んで使う!感謝する!

やっとできるようになりました。

年をとってからも価値観をかえることができる、それはまた第二の成長。

かつては経済面に振り回されていたけれど、最近は「足りてる」ことにとても感謝しています。

仕事と育児も両立できてるし、

いろんな意味で楽になってきました。

自分がおもっていた「幸せの価値観」が変わってきました。

すこしづつ、もっと自由になれるのかもしれませんね。




いつのまにか

暑い盛りでございます。
いかがお過ごしでしょうか?

先週から息子がおりません。
どこへいったかって??

フランスに行きました。
2週間、父親と一緒におじいちゃん、おばあちゃんちに滞在しています。

去年は出発前日に40度近く熱を出したので、今年も若干心配しました。
そこで今年は1ヶ月前にはフランスに行く日を息子に申告。
少しづつ自覚をしながら出発をまちました。

前日になると「明日フランスに行く日だね」
と自分でカレンダーチェック!なにごとも納得したい息子にはいいことでした。

成田まで見送りにいき、最後のキスをするころには息子も心の準備がしっかりできていたらしく、
「バイバイ」
と小さな手をふりました。
何回も振り返って手を振っていました。
私が心配すると不安になるからとびっきりの笑顔で送ってあげました。
「いってらっしゃい!海にいったらおみやげの貝をたくさんとってきてね。」
というと何回も
「わかった〜!」
と元気な返事が返ってきました。

翌日、パパからメールが入り、元気に到着したと知らせがありました。
むこうでも「自分らしく」できているかな?そんなふうに思いました。

パパと二人でのフライト、フランス語での生活、5歳の息子には荷が重過ぎるのでは?とおもうこともあります。私自身が国際結婚して、その実際の荷の重さにドロップアウトしてしまったからこそ
感じてしまうこともあります。
だけど、息子にとって、それは時には重荷であっても、プライドにもつながっているようです。

大きな体験を積み重ねて、だんだん自信をつけ、大人になっていくように感じます。

昨日電話があったとき、
「ママのために海にいって貝をとるんだ。」

「海の中ってデンデンムシがいるの、きもいね。」
(ふじつぼのことかな?)

なんていいながら、元気な声を聞かせてくれました。
幼稚園で流行ってる
「わかりやした〜!」を何度も繰り返して。

きっと息子の中ではフランスも日本も同じくらい大切なのかもしれない。

私は日本人で、なかなかフランスの家族や生活になじめなかったけど、息子は天性の勢いで
二つの文化を吸収しているのかと、心配がなくなりました。

彼はいつも世界から愛されている。

そう思うと自然に安心します。

いつも私が世界を信じること、宇宙を信じることで、遠く離れた息子にも安心を送ってあげられる。

どうか、楽しい時間を・・・。




鯨の親子

先週ディープブルーを買ったので、息子と一緒にみました。おもった以上に息子からの反響は良く、
なんかいもみるはめになりました。
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(2006/06/23)
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一番印象的だったのは子鯨がシャチの集団に襲われるシーンでした。
母親の私は、母鯨に気持ちを投影するわけで、
「あ〜。赤ちゃんが・・・。」ってけっこう衝撃的。

息子はどういう反応をしめすかなと興味がありました。

「赤ちゃんがかわいそう」

というのでは?

とおもっていたところ、意外や意外、

「シャチもおなか空いてたんだ〜」

と、ずっこけるようなあっけらかんとした意見でした。
でも私はそれでいいかなっておもいます。
人間は他の動物の命をいただいて生きているわけだし、自然界も自然の摂理があり、大きく見たら
かわいそうとか、そういう意見も変だろうな・・・と思うのです。
こどもはこどもなりに言わなくても命の大切さを学んでいければいい。
命は大切だけど、でも大河の一滴にすぎないという考えも大切だし、色んな意見があって世の中
いいんじゃないかなっておもいます。

最近の教育は「命の大切さを!」といいますが、「命の大切さ」ってなんだよ??
ってきっとみんなこどもたちはおもってるんだじゃなかなと。
言葉で言うのは簡単だけど、これだけ自殺やリストカットが多い世の中だから、言葉でいっても
わかんないんじゃないかと。

鯨のお母さんじゃないけど、自然界はすごく厳しいから、大切に育てた子どもを敵に奪われることもある。だけど、守るときも一生懸命、そして子どもを奪われても恨まず、憎まず、また自分の命を生きる。
一人で旅をつづける。
そういう強さは人間が失いつつある強さなのかもしれない。

かつて私もなんにでも「投影」して、かわいそうだとか、そんなのだめだとか他人に対していろいろな感情をもちすぎていたと思う。
その境界線のなさが自分を苦しめていた。
相手の中に「自分にないもの」を感じるとき、くるしかったり、もやもやするのが人間だ。
だけど、いつのまにかあまり他人に対してそれほどいろいろな感情をもたなくなり、
ただただ人間の「不器用さ」に愛着もでるようになってきた。
それは自分自身の欠点も丸ごと受け止められるようになったからだと思う。

いろんなことに感情移入して一喜一憂していたころはそれはそれでよかったけど、今はそういうことが少なくなり、ずいぶんいきやすくなった。

鯨の母親じゃないけれど、子育ても一生懸命、自分のことも一生懸命、それでだれも恨まず、自分の旅を続けていきたい。

いつか息子が私の手元を離れても、しっかりと手放してあげられるように。