シーラという子

シーラという子―虐待されたある少女の物語シーラという子―虐待されたある少女の物語
(1996/03)
トリイ・L. ヘイデン

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ずっと読みたかった本、やっと読めました。
で、お友達にも貸して、共感できた〜。

「シーラってわたしみたい」

そんな風に感じました。

もしかしたらみんなのなかにシーラがいるのかもしれない。

まるで今まで言えなかった思いをシーラに代弁されたような感覚でした。

私は現在、育児にかかわる仕事をしているが、愛情に飢えている子のもつ繊細さや情熱にとても

心惹かれるものがある。なぜか目を離せない、そんな感覚だ。

心の健康なひとより、なぜか癖のある人に惹かれるのはきっと私自身が心に傷をおっているから

敏感にかんじてしまうのかもしれない。

どうして心はそんなふうに感じるのか?

そんなことを日々考えている。

感情の海に飛び込んで、深い海底を覗いてみる、恐怖の先にあるもの。

それは案外シンプルなものだったりする。

今日、おともだちのSKさんと話したところ、すごーくキーワードになる言葉があった。

「誰でも耐える力はもってるけど、勇気があるかないかでまた変わってくるのにね。」

たしかにそうかもしれないな〜。

結局は勇気なのかもしれない。

シーラも自分が成長することを最後には拒まなかった。

大いなる勇気を持って、自立の道を選んだのだ。

愛情をくれる人は親じゃなくてもいい。

大人になって、愛されるようになって、いろんなことがわかってきた。

COMMENTS

No title

昨日はアリガトウ。

勇気、って、よく使う言葉だけど、
実際それがどういうものなのかは、意外に分かっていない気がします。

そんな時、ふと、あの時ひいたカードを思い出すんです。
 「Trust」(=信じる、ということ)

「自分は、勇気がないから……」
って、つい考えてしまう。
その時、実は「自分のことを信じられない」と言っているのと同じなのかな?
って思うんです。

「勇気」なんて言うと、つい積極的に何かアクションを起こさなければならないと
誤解してしまうけれど、
まずは、自分を信じてあげることから始めれば良いんじゃないかな?

どんな自分でも、
たとえ何かが上手に出来なくて、いつも失敗ばかりしていると思っても
それでも、自分だって捨てたもんじゃないって、
なにか、ほんの些細なことでも良いところを見つけて、
思い切り自分を褒めて、
先ずは自分を信じること。

勇気は、大事に育てて行くもの。
そう考えれば、勇気なんて、最初から持っていなくても
良いんだって思える気がします。

No title

勇気を最初からもってる人は多分いないとおもうよね〜。

勇気って言葉さえ、日常つかったとしてもどんなものか知らないものね。

「私は私、これでいいよ。」って自分を肯定する力もなかなか自分ひとりでは身につかないし。こどもは絶えず周りから肯定されていないと、習慣にならないしね。
大人もたぶんそうだよね。
もう誰も肯定してくれなくても、自分を自分をしっかり支えてあげるのは勇気がないときっとできない。
他の誰かになることが勇気でもないしね。

変わろうとおもう勇気も、変わらなくていいという勇気も生きていくうえではとても必要かな。でも勇気って言葉の裏にはいろんな感情がまた隠れているから、それがまたおもしろいよね。私に必要なのは「変わらないもの」を育てる勇気かもしれない。やっぱり自信をもつことかしら??

みんなちがうメッセージ、課題をもってうまれているわけだけど、私はいつも「誰かの問題」でさえ、自分の問題にしてしまいがちだから、そこんところを気をつけるのも「勇気」かなって。見守るってなかなか忍耐いるからね。

オラクルカードはやっぱりガイドブックがついているらしい。
新しいのと交換してもらう予定です。
またねん。

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