鯨の親子

先週ディープブルーを買ったので、息子と一緒にみました。おもった以上に息子からの反響は良く、
なんかいもみるはめになりました。
ディープ・ブルー −スタンダード・エディション−ディープ・ブルー −スタンダード・エディション−
(2006/06/23)
ドキュメンタリー映画

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一番印象的だったのは子鯨がシャチの集団に襲われるシーンでした。
母親の私は、母鯨に気持ちを投影するわけで、
「あ〜。赤ちゃんが・・・。」ってけっこう衝撃的。

息子はどういう反応をしめすかなと興味がありました。

「赤ちゃんがかわいそう」

というのでは?

とおもっていたところ、意外や意外、

「シャチもおなか空いてたんだ〜」

と、ずっこけるようなあっけらかんとした意見でした。
でも私はそれでいいかなっておもいます。
人間は他の動物の命をいただいて生きているわけだし、自然界も自然の摂理があり、大きく見たら
かわいそうとか、そういう意見も変だろうな・・・と思うのです。
こどもはこどもなりに言わなくても命の大切さを学んでいければいい。
命は大切だけど、でも大河の一滴にすぎないという考えも大切だし、色んな意見があって世の中
いいんじゃないかなっておもいます。

最近の教育は「命の大切さを!」といいますが、「命の大切さ」ってなんだよ??
ってきっとみんなこどもたちはおもってるんだじゃなかなと。
言葉で言うのは簡単だけど、これだけ自殺やリストカットが多い世の中だから、言葉でいっても
わかんないんじゃないかと。

鯨のお母さんじゃないけど、自然界はすごく厳しいから、大切に育てた子どもを敵に奪われることもある。だけど、守るときも一生懸命、そして子どもを奪われても恨まず、憎まず、また自分の命を生きる。
一人で旅をつづける。
そういう強さは人間が失いつつある強さなのかもしれない。

かつて私もなんにでも「投影」して、かわいそうだとか、そんなのだめだとか他人に対していろいろな感情をもちすぎていたと思う。
その境界線のなさが自分を苦しめていた。
相手の中に「自分にないもの」を感じるとき、くるしかったり、もやもやするのが人間だ。
だけど、いつのまにかあまり他人に対してそれほどいろいろな感情をもたなくなり、
ただただ人間の「不器用さ」に愛着もでるようになってきた。
それは自分自身の欠点も丸ごと受け止められるようになったからだと思う。

いろんなことに感情移入して一喜一憂していたころはそれはそれでよかったけど、今はそういうことが少なくなり、ずいぶんいきやすくなった。

鯨の母親じゃないけれど、子育ても一生懸命、自分のことも一生懸命、それでだれも恨まず、自分の旅を続けていきたい。

いつか息子が私の手元を離れても、しっかりと手放してあげられるように。

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